ユウ、ヒロ、ナツの戯言

男3人による戯言、雑記、日誌を散文的に

快楽条件の矛盾と責務

ある偉人は後世にこの言葉を残している。

「人生はSEXだ」

 

は?と思うがこの意図は、

人生に必要なことはSEXに詰まっているということ。

 

彼はこう補足している。

 

SEXとは種の保存のための行為であり、本能行動である。

同時に、快楽を得られるものであり、

自分の性的優位性を確認するためのものであり、

異性からの承認欲求を満たすものであり、

相手へのマーキング行為であり、

相手への愛情表現を具現化したものであり…etc

 

つまり、SEXをするのは、

気持ちがいいし、

相手に受け入れられることであり、

相手に愛していることを伝えることでもあり、

自分の性的価値を確認するためでもあり、

相手を自分のものしたという

自己満足もあるということ。

 

つまりSEXとはあらゆる欲求を叶えるための行為であり、

欲求を叶えることこそが人生だと彼は言っているのだ。

 

この考えをあえて否定はしない。

しかし、私は別の解釈を補足したい。

快楽を得られるというポジティブな要素のほかに、

SEXとは相手の要求を満たすという側面が強くある。

 

例えばこちらがSEXをしたくない状況でも

しないといけないという責務が生じるという

側面に注目したい。

 

これは例えば男性目線的に語ると、

加齢による性欲の減少や回数を重ねることでの

その対象者へのSEX的関心の薄れ(飽きている)がある。

性的モチベーションの低下だ。

 

しかし、そのような場合でも、

その対象者と良好な関係を築くためには、

もしくは、円満な家庭を築くためには、

SEXは責務となる。

 

「したい」から「しなければならない」

という強制力が生じた場合、快楽条件は崩れてしまう。

SEXが責務になってしまう。

 

このモチベーションの低下と性欲の衰えこそが

最大の難関だ。

 

そこで、懸命な男性はどうするべきか?

なるべく回数を減らすのか?

手短に終わらせるのか?

浮気するのか?

 

それで、幸せなふたりでいられるだろうか?

 

サプリを飲み、時に栄養ドリンクを飲み、

自らを奮い立たせ、

獣のように相手に襲いかかり、

あらゆるテクニカルなサービスを施し、

新しい体位に果敢に挑戦し、

終えた後は、「最高の女だ!」

という賛辞と共に愛の言葉を囁くべきだろう。

 

つまりモチベーションの低下を理由にせずに、

果敢に己と相手の性的欲求に挑戦することが

唯一無知の方策である。

 

ここで、もうひとつ重要なことを考えたい。

モチベーションの低下は相手にも起きている

という可能性があるということ。

 

女性も正直気乗りしないし、飽きているけど、

気持ちよいふりして、抱かれる喜びを演じている

可能性があるということだ。

 

ふたり、または家庭の幸福のためには、

時に心を殺し、演じることで乗り越えていくことも

あるのだろう。

 

そして、幸せとは、

互いの「楽しもう、楽しませたい」という姿勢に

よって成り立っている。

例えそれが、強がりだとしてもだ。

 

ここまで考えると、

「人生はSEXだ」

というのはあながち間違えではない気がする。

 

さて、これは友人関係にも言えることだ。

いやすべての人間関係にも言えることだ。

 

例えば、会社の飲み会。

これが責務となるとつらいよね。

楽しくないよね。

 

でも「楽しさ」とは、

必死に相手を楽しませようとする道下、

必死に自分を楽しませようと鼓舞する者、

この者たちがつくる暗黙の空気で成立している

ことだけは忘れてはならないのだ。

 

楽しいは、誰かの「楽しませたい」

で成り立っているのだ。

 

 

さて、8月7日だ。

ふたりに楽しんでもらうために、

こっそり、AV女優を呼んでの乱交パーティを企画した。

さて、彼らは楽しんでくれるだろうか?

 

【ユウ】