ユウ、ヒロ、ナツの戯言

男3人による戯言、雑記、日誌を散文的に

オナニークラブ日記

この章を持って最後とする。

最後はアベノチンコ・ハルカスが残した日記を抜粋しよう。

 

 

10月某日

14時にヘタとナツノと上野で待ち合わせた。酒が性的興奮を妨げること、バイアグラの効能は空腹時に最大化されること(バイアグラ自体はアルコールの影響は受けない)。そのことを理解したうえで、まず居酒屋で一杯引っかけた。ナツノが用意したバイアグラをビールで流し込み乾杯。オナクラには、店舗型とデリバリー型がある。より手軽でかつ事前にモザイク無しの写真でセレクトできる店舗型を私は推奨した。しかし、ヘタとナツノはデリバリー型への意思が固い。私はふたりの説得を諦めた。3名はそれぞれの店に行くこととなり、15時に居酒屋を出た。ふと、私はふたりの顔を眺めた。いい顔をしているな。何かをやり遂げる男の顔だった。

 

私は自分で事前に調べた店舗型の店Aに入る。店員が「指名はあるか?」と聞いてきたので、しばし考えた後に、「ない」と答えた。すると店員が5~6枚ほどの写真パネルを机に並べた。私はその中で一枚の写真を無言で指さす。「バンビさんですね。それでは5分ほどお待ちください」。個室に招かれた私は、壁に描かれた10戒に目を留める。「本番行為の禁止」「女の子の嫌がる行為の禁止」など10の戒律が書かれている。私は旧約聖書モーセを思い出していた。彼はその巨根で海を割り、民と共にエジプトからイスラエルと渡り、神より賜った10戒で民の主導者となった。私のすでに勃起はしているが控えめな一物では海は割れないだろうと思った。私は英雄にはなれない。すると、扉がノックされ、バンビが現れた。私は彼女をじっくりと眺めた後に、視線を壁に向けた。「本番行為禁止?」そう私は呟いた。

 

店を出て、スマホを確認すると16時だった。私は澄んだ空気を吸い込む。「もう秋か」そんな言葉が口につく。そんな穏やかな秋の空気が切り裂かれた。5mいや10mほど先で男の叫び声が聞こえてくる。ビルから警察官に囲まれた男。血走った目、拘束されてなお暴れようとする体、唾を垂らしながら叫ぶ声。ナツノだった。

私の頭の中に先ほど店で眺めた10戒が投影される。「本番行為禁止…」

 

パトカーに無理やり引きずらていくナツノ。「あいつから誘ってきたんだ!俺は悪くない!」。私が呆然と眺めていると、後ろから声がした。「あいつは一線を越えてしまったんだ」。振り返ると、そこにヘタがいた。私はその一言で正気を取り戻し、パトカーに近づくと叫んだ。「ナツノ!君ほどの賢者がなぜだ!?」。ナツノは暴れるをやめてこちらを見た。その顔はさきほどまでの狂った猿のような形相ではなく、仏のようだった。ナツノの口が動く。声ははっきりとは聞こえない。

「ほ、ん、ばん…、いち、まん、…、ぽっ、…、きり」

 

性の多様性。オナクラの楽しみ方も多様性が叫ばれる時代。しかし、多様性とはどんな行為・思想も認められるということではない。超えてはならない一線がある。「その線がナツノには見えなかったのかな」。私は誰に言うでもなく呟いた。ヒロは何も答えないまま、歩き出した。帰るのだろう。妻と子が待つ家に。私の頭に怒りが宿る。ナツノにだって家族がある。仕事がある。そのリスクを超えてしまった者を冷ややかに見るヘタに。自分だけが安全な幸福へと帰ろうとするヘタに!「お前には見えてたのかよ!その線が!」彼は一瞬立ち止まり、顔だけを振り返らせた。そして告げられる言葉に驚愕する。「俺は2万だったよ」

 

私はその場で膝から崩れ落ちた。遠ざかるヘタの後ろ姿。頭で反芻されるナツノの仏のような顔。紅葉し始めた街路樹の下で私は膝をついたまま空を眺めた。オレンジ色に染まる夕焼けが美しい。財布の中身を確認する。2万円…。私は走り出す。あの店へと走り出す!その顔はきっと猿のように狂っていただろう。

 

 

 

 

 

 

オナニークラブ原論

2007年、かのスティーブ・ジョブズがiPhonを発表する

 

「賢い電話」として発表された商品だが、実態は「携帯するPC」である。これにより爆発的にエロスがモバイル化するのだが、これは結果論ではなく、ジョブズの戦略である。ジョブスは、社内でのスピーチでこのように述べている。

 

「この一台で、世界中でオナニーが開放される」

 

ハルカスが説いたオナニー進化論の中でも最大の変革と言われるエロスのモバイル化。これはいつでもどこでもエロスと接続でき、環境にも配慮されたサステナブルなエロス改革である。そして、ヘタが説いた「風俗優生論」とももちろん無関係ではない。1990年代からはじまった、ハルカス、ヘタ、ナツノの性理論論争。この「性の3賢者」と呼ばれる3名が、結果論的に性理論を集約化させた2010年代の「平成の性変」。そして2020年代に「性のモバイル化」の時代におけるオナクラ論へと帰結する。3人の賢者は2023年、共同著作という形式で「オナニークラブ原論」を発表した。後に「令和の性変」と呼ばれる史上最大の性指南書である。

 

いよいよその概要について紹介しよう。

 

●第一章:アベノチンコ・ハルカスのオナクラ的イズム

ハルカスはオナクラを性的観測サービスであったという原点を重要視する姿勢を示した。彼はオナクラはあくまでオナニーの延長線上にあり、その相対性効果(見られる興奮)からの派生としての手淫サービスであるという立場を貫いた。よってオナクラは、風俗を利用する概念ではなく、性的思考の凝ったオナニーを行うという概念だと強調している。サービス者の行為は、あくまでオナニーの手伝いであるという主張を行い、その他の風俗との線引きを明確化した。彼はオナクラを利用する際は、「抜いてくれ」とは一切言わずに、「手伝ってくれ」と嬢を諭したという。このオナクラ原理主義的な主張は、利用者に「風俗ではなく、オナニーだ」という概念=罪意識の低下を促し、後に彼が「オナクラの開祖」と呼ばれる要因となっている。

 

●第二章:ナツノチンコ・スカイツリーのオナクラ道

ナツノは「オナニー万有引力の法則」でも分かるように、すべての性媒体、性サービスを受け入れる立場を表明している。また、スマホネイティブ世代が二次元的エロスへの回帰、加工された二次元的セクシーにしか性的興奮を求められなくなっているという社会問題に対して、リアルな性体験の入口または導入としてのオナクラ活用を推奨している。この提言の影響を受けた若者が、オナニーの次の性的ステップとしてオナクラに行くというのが流行した。つまりナツノは、二次元的エロス(オナニー)とリアルな性交渉(SEX)の中間にオナクラがあるという道を示したことになる。この提言は広く童貞に流布され、後に彼が「童貞のオナクラ王」と呼ばれる所以となった。

 

●第3章:ヒロノチンコ・ボーリングヘタのオナクラ有罪論

ヒロは、「オナクラ優生論」でオナクラの価値をすでに認めていた。一方で「オナニー絶対的理論」の提唱者であるヒロは、オナニーは他者の影響を受けないとしているため、オナクラはあくまで他者の介在する性サービスであるという線引きをしている。そのため、妻帯者である彼はオナクラの功罪の罪の方へ意識を向けることとなる。彼の主張によると、安価でライトなサービスであるオナクラは浮気には該当せず、家庭的破滅の原因にはなりえないことを強調している。しかし後ろめたさはあるとして、オナクラ行為に罪がないとは言い切れないと論じている。妻帯者もしくは恋人がいる場合の利用については、隠すことをまず第一前提とした。また、有罪論では、風俗の共犯者的行為について言及している。仲間と罪行為(風俗利用)をすることは仲間意識を高め、士気を高める効果があると説いている。そのため彼は、大事な仕事の前にはチームでオナクラに行くことを推奨している。この説は主にスポーツ選手に認知され、大事な試合の前日にチームでオナクラに行くという現象がみられる。そのためヒロは後に「オナクラ界の勝負師」と呼ばれるようになった。

 

性の3賢者は、この段階で一致団結したかのように見えた。しかし2023年10月のオナクラ実施試験において再び泥沼化することになるのだが、それはまた別の話。

 

最後にスティーブ・ジョブズの言葉を紹介しよう。

 

「自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい」

 

この言葉は友人がオナクラに行くかを悩んでいるときにジョブスが発した言葉とされている。彼は、本当になりたい自分ややりたいことは他者によって教えられるものではなく、答えはなぜか自分で知っているものだと語ったという。

 

 

 

 

 

オナニー進化論

チャールズ・ロバート・ダーウィンは1859年刊行「種の起源」で進化論を説いたことは有名である。自然選択によって生物は遺伝化学的に進化を遂げている。

 

進化論の派生として「優生論」がある。これは優秀な遺伝子が残るという考え方だが、差別的思想が歪んだ優生論を輩出したという歴史的な事実があることは触れておく。

 

相対性理論、絶対性理論、万有引力の法則の前述した経緯は序章に過ぎない。

この進化論からがいよいよこの性的論争の本題である。

これまで対立構造を浮き彫りにしてきた、ハルカスやヘタ、ナツノが2010年ころから互いの論調を重ねあうことで大きな性的論理の体系化を図るという構図が生まれる。のちに「平成の性変」と呼ばれるムーブメントである。

 

まず2015年に、アベノチンコ・ハルカスは、「オナニー進化論」を提唱した。

 

江戸時代の浮世絵師による春画、裸写真、青年漫画、動画、VRと抜きネタは、時代と共に革新的進化を遂げている。オナニーは本能的な行為のため、進化が停滞している分野と言われていたが、近年その発展は国内最大規模の経済市場を形成するに至っている。ハルカスは著作「性の起源」の中で、その進化は自然選択による(もしくは自然淘汰)系統的発展と論じており、現代社会はもう春画に戻ることはできない不可逆的な事象であるとの結論を表明している。

 

これに対して、相対性理論と絶対性理論で反発したヒロ・ボーリングヘタは2016年刊行の著作「風俗優正論」の中で、風俗的には退化理論を提唱した。花街の遊郭から始まり、ソープ(トルコ)やちょんの間といった本番行為からピンサロ、オナクラなどよりライトな性サービスの変遷は、人類の性的欲求の退化そのものを表しているとして、この時期に流行した「草食男子」に警鈴を鳴らしている。一方で風俗は優生論的解釈が可能として、性的サービスがより安価でソフトなものが優生として生き残っていくという考察をしている。この優生論は、ハルカスの優生論と類似性があるということが特徴的である。

 

2017年、ハルカスとヘタに呼応するようにナツノチンコ・スカイツリーは、「二次元優生思考の道」を専門誌「アップル通信」に上奏する。ナツノは、漫画やアニメの文化的発展が、性対象に及ぶ影響について言及している。これは、よりリアルなものを求めて進化してきたというハルカスの「オナニー進化論」の外伝的位置づけであり、リアルの反作用としての二次元的エロへの回帰や画像や動画修正技術の発展によるセクシー女優の二次元化を論じている。これによってスマホネイティブ世代が、加工された二次元的エロス(または創作的なエロス)を追及するあまり、リアルな異性に性的興奮を求めないというパラドックス的現象を体系化したとされている。また、ヘタの「風俗的退化論」に関しても、リアルを求めない性的思考が、よりライトなサービスを求めた結果という解釈をしている。

 

この性の巨匠の3人がそれぞれ発展させた性理論は2020年のオナクラ原論に集約的帰結をみせるのだが、それはまた別の話。

 

最後にダーウィンの残したとされる言葉を紹介しよう。

 

「優秀な者、強い者、賢い者が生き残るのではなく、変化できた者が生き残る」

進化論から派生した優生論は、前述のとおり歪んだ思想を生み、また倫理的論争を招いた。時の主導者は自分の民族が優生であると主張し、他民族の弾圧を行った。これらの民族的差別の背景として「優生論」がある。しかし、ダーウィンは、優秀な遺伝子が生き残るのではなく、変化に対応できた遺伝子が生き残るという哲学的解釈を表明することで人類の差別的発想と対峙したのである。

 

 

 

 

オナニー万有引力の法則

かのアイザック・ニュートンが発表した万有引力の法則

 

落ちた林檎の逸話から、ニュートンは重力を発見したという誤解があるが、ニュートンが提唱したのは引力のことだ。ニュートン力学では、質量=エネルギーである。これはある意味正しい、大きな質量を持つ惑星ほと大きなエネルギー(重力など)を持ち、すべての質量の持つ物質は引力があることを提唱した。よってニュートンは質量の持たない光は重力の影響を受けないとしたが、これは後の世の研究で否定されている。アインシュタイン相対性理論である。光は重力の影響を受けることが証明されてる。

 

オナニー相対性理論のハルカスや絶対性理論のヘタは、オナニーの質量問題については、回数が少ない=快楽の増加の法則で考えが一致している。

 

しかし、求道者ナツノチンコ・スカイツリーが著作「毎日オナニー道」の中で、原点的理論を提唱した。ナツノは科学者や物理学者ではなく、求道者という立場からアプローチを図った。つまり彼は毎日オナニー行為をすることで、質量=エネルギーのニュートン力学を肯定したのだ。自らの膨大な自慰行為による検証の積み重ねを持って行われていたが、異性とのSEXとの際はバイアグラを服用するなど、彼の性生活は困窮を極めたと言われている。ニュートン錬金術の研究に没頭し、銀などの毒性の高い金属を摂取することで体調を悪化させてように、ナツノもまた研究にの没頭するあまり薬に頼らざるを得ない状況になったという共通性があげられる。

 

また、ナツノはニュートン力学への回帰のなかで、すべての抜きネタには引力があるという法則を見出している。これこそが、オナニー万有引力の法則である。オナニーの実行者は、書籍、画像、動画や脳内妄想に観測されてるすべての異性的エロシズムに引き寄せられる。この法則はまさに原点回帰ともいえる理論であった。ナツノは著作の中でこのように語っている。「オナニーこそが創作行動の原点的エネルギーである」と。

 

ニュートンの研究の一部では現代科学の前で否定されている。しかし彼の熱心な研究活動があったからこそ、アインシュタイン相対性理論にたどり着くことができた。

 

ちなみにこのナツノの性的研究の進歩に着想を得たハルカスが、2010年にオナニー進化論を上奏するのだが、それはまた次回のお話。

 

最後にアイザックニュートンの残した言葉を紹介しよう。

「私が価値ある発見をできたのは、才能ではなく忍耐と注意力の恩恵である」

 

誰よりも知的好奇心が強く、研究に取り組んだ彼らしい言葉である。

 

 

オナニー相対性理論

アルベルト・アインシュタインが上奏した相対性理論

この理論を深く理解するものは少ないだろう。

 

相対性というのは絶対性の反語である。

観測者がお互いを観測しってあっているときに、自分と相手の状態によって「時空間」が歪むという理論である。例えば、光の速さで進む乗り物があったとき、それを外から眺めている場合、その速度は一定=光の速さである。一方で、その乗り物に乗っている者に流れる時間は遅くなる。乗り物にいる人からは、外の景色はゆっくりと流れる。つまり絶対的な観測ではなく、互いの状況に影響を受ける相対的変異が起こるというわけだ。

 

ホームランを50本打ったから年棒が上がるというのは絶対的観測(評価)

ホームランを50分打ったが、他のメンバーも50本打っているから年棒が上がらない

というのが相対的観測(評価)となる

 

この理論を、アベノチンコ・ハルカスが応用したのがオナニー相対性理論である

 

これまでオナニーは絶対性理論が優勢であった。つまりオナニーは他者との比較や影響を受けない当人にとっての絶対的快楽の追及というのが定説だった。それに対して、アベノチンコ・ハルカスは、1995年の著作「オナクラ起源論」で絶対性を真っ向から否定している。オナクラは当初、自身の自慰行為を異性に観測されるということに重きを置いていた。つまり、絶対的快楽の追及(孤独な快楽)の結果、相対的快楽(観測される興奮)へと昇華しているとハルカスは唱えている。その際に誰に観測されているかによって性的興奮が変異するという実験的検証を重ね、この理論を構築したとされている。

 

しかし、オナクラが観測的サービスから、手淫サービス(手コキ)への変換した事実を踏まえ、再び絶対性理論が優勢となる。

 

その代表的提唱者が、ヒロ・ボーリングヘタ博士である。

 

ヘタは、著作「オナクラはすでにオナクラであらず」の中で、相対的快楽の興奮は一部の人間にしか観測されず、大多数は手淫などによる直接的サービスを求めるという「3次元的快楽回帰論」を提唱した。この提唱は多くの議論を呼び、同時に多くの派生理論を誕生させた。当時の専門誌「でらべっぴん」では、この論争は絶対的理論の勝利で終焉したと書かれてる。

 

その10年後、ナツノチンコ・スカイツリーが専門誌にて発表した「オナニー万有引力の法則」で再び論争が過熱するのだがこれはまた次回に語るとしよう。

 

最後に相対性理論の提唱者であるアルベルト・アインシュタインは晩年にこんな言葉を残している。

 

「この宇宙でもっとも力のあるエネルギーは、愛である」

 

光と重力など宇宙の膨大的エネルギー的解明を続けたアインシュタインが最後にたどり着いた答えが、人間の愛であるということの意味を考えずにはいられない

 

京極夏彦に纏わるエトセトラ

私は京極夏彦を読んだことがない。

どうもあの分厚さに気後れしてしまう。

うちの本棚には京極夏彦の文庫本がある。

800頁を超える小説。なんという太さだ。

なぜ、上巻、下巻に分けないんだ?

 

そんなことを考えていたら、

高校時代のある一夜を思い出した。

女子大生と合コンするのが、

俺たちの一時的なブームだった頃の話。

 

ある日4対4で合コンをすることになった。

4人中ふたりを俺は知っていたので、

残りのふたりに淡い期待を抱いていた。

 

合コンが始まって、こりゃ駄目だと思った。

そのふたりが170をゆうに超える長身女子…。

そのうちのひとりに俺は惹かれていた。

どこか地味で、大人しいそうな子だった。

まるで背が高くてすみませんって言ってるような

猫背で弱気な表情をしている。

 

でも、きっと俺では駄目だろうな。

背の低い俺では駄目だろうな。

恋をする前に失恋したような気分だった。

敗北を頭に過られながらも俺は

ひょっとしたら相手の背を気にしないタイプ

かもしれないと淡い期待を捨てきれない。

 

俺たちは友人宅で飲み直しをした。

その時は男女3対3になっていた。

もちろんそこにはヒロもいる。

長身のあの子もいる。

 

俺はその長身女子に聞いたんだ。

俺「どんな人が好みなの?」

女子「背の高い人…」

だよねと。そりゃそうだよねと。

そうするとヒロだけが候補者だ。

 

俺はヒロに嫉妬したよ。

 

ヒロはというと興味がないと言わんばかりに

会話にも参加せず友人宅で漫画を読んでいた。

 

俺は再び質問をする。

俺「趣味とかあんの?」

女子「本を読むのが好きで」

ますますタイプだ…。

俺「どんな本?」

女子「…。怪奇的なミステリー…。」

その瞬間だった。

それまで会話に参加せず漫画を読んでいたヒロが

ヒロ「京極夏彦!?」

と声を上げた。

長身女子は嬉しそうに

女子「そうです、京極夏彦は好きです」

ふたりの世界に入りこむ様を眺めながら、

なんでヒロが京極夏彦を読んで

やがるんだよって…。

 

ヒロに嫉妬したんだ。

 

ヒロ「もっと京極夏彦について語らないか?」

女子「はい」

ヒロ「小説よりも太っい俺の〇〇〇を拝んでくれ」

女子「はい」

そう言ってふたりは友人宅を後にして、

池袋のラブホに直行したのだった。

 

そういつだって、

ヒロはいい女をものにしやがる。

 

俺の本棚に、

京極夏彦の本が一冊だけ眠っているのは

まーそういうことだ。

 

【ユウ】

 

 

 

2022年、流離草子

2022年になりました。

久々にブログを書いてみる。

 

この数週間、書こうとは思っていたが、

書かなかった。いや、書けなかった。

遠く離れた地で生きる俺が、友人とのつながりとして、

ひとりで生きる上でのちょっとした楽しみとして、

そして制作者としてのちょっとした矜持を持って

このブログをスタートした。

 

ひとりで生活して気が付いたことがある。

ブログなんてなくたって仲間たちとの絆は永遠だってこと。

書くほどのネタもない生活を送っているということ。

赤裸々に語っているなかで、たまに悲しさがあること。

 

そのことをしっかりと認識したうえで改めて書こうと思うのだ。

 

ここ数年俺はずっとピンチだった。

ようやく光が見え始めたなかで、さらにどん底に落とされた。

とある公的機関からの返済の督促状。

12月~2月までの給料を差し押さえられることになった。

涙ながらに交渉したが、全く取り合ってもらえなかった。

 

俺「差し押さえられたら生きていけません」

担当「それは自殺するってことですか?

そんなこと言う人とは交渉できません。

すぐにでも給料を差し押さえますよ」

俺「いや自殺なんて言ってないがな…」

担当「生きていけないなら自己破産など

   しるべき機関にご相談を」

 

俺はいつか、金で困っているひとがいたら助けてやろう。

そう誓ったんだ。

 

 

貯金?あるわけないだろ。

 

1杯40円のラーメンを食べながら真剣に考えたんだ。

何か手はないか?と。

 

誰とも話さない年末年始を過ごしながら考えたんだ。

一発逆転ホームランなんて手札は俺にはないんだなと。

 

無料エロ動画を眺めながら考えたんだ。

もう一回どん底からやり直そうと。

 

もともと45歳人生再生計画を掲げている俺だ。

今は耐えるとき。今は屈むとき。

 

41歳、独身、バツイチ、借金あり、貯金0、肥満、不健康…、

なんて輝かしいプロフィールなんだ。

今の俺を愛してくれる女性がいるならぜひ会ってみたいんもんだ。

 

だからといって今の俺を愛してくれるツインテールのばばぁが

現れても求婚なんてしないのさ。

スレンダーでDカップ、それだけは譲れないのさ。

 

ここから始めるんだ。

ひとりでも歩いていくんだ。

俺の人生だ。

この物語を悲劇にするのも、喜劇にするのも

俺しかいないんだ。

 

中指を立てて俺は叫んでやるよ。

ぜったい這い上がってみせると。

 

俺の人生のラストシーンでは必ず笑ってみせるよ。

エンドロールのSpecial thanksは今まで出会ったすべて人。

監督・脚本・主演は俺。

スレンダーでDカップのヒロインの登場は、

まだまだ先の話みたいだ。

 

とりあえず今は、男を磨こうぜ。

俺は元旦から運動することを自分に課したのだった。

 

【ユウ】